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葉月が目を覚ました時には蔵人さんはもう身支度をしていた。
部屋のアラームはかけておいたんだけど、まだその前の時間だった。

蔵人さんは何時に寝ても大体同じ時刻に目が覚めるって言ってたけど、本当にその通りだった。


蔵人さんの声

「おはようございます」

「おはようございます」

…なんだか恥ずかしい。

 

僅か数時間前にしていたことが、もう「昨夜のこと」になっていて、
今日はもう新しい日になっている。
蔵人さんも昨夜の「暗闇蔵人くん」の面影はなく、いつものシャキッとした蔵人さんに戻ってた。
葉月だけが余韻をベタベタに引きずってる寝起きの顔。

 

蔵人さんがお仕事に出掛けるまではまだ充分時間があった。
葉月はシャワーを浴びさせてもらって身支度をした。
その間に蔵人さんは朝のコーヒーをいれてくれた。

朝のニュース番組を見ながらゆったりした時間を過ごす。
あぁ、なんかこういう時間もいいなって思った。
昼間のラブホデートじゃこういう時間はありえない。

 

ホテルをチェックアウトして途中まで一緒に歩いた。
う〜ん、こうやって一緒に出勤っていうのもいいなぁ。
葉月は本当にこういう経験がないのでなんでもかんでも新鮮だ。

 

途中の角で蔵人さんはお仕事先に、葉月は駅の方に曲がらなくちゃならない。
蔵人さんのお仕事の知り合いの人に見られてはいけないと思ったので、
お別れする少し手前で蔵人さんに挨拶をした。

 

「ここから先は離れて歩きますね。
蔵人さん、楽しかったです。ありがとうございました」

「僕も楽しかったですよ」

「それじゃ、いってらっしゃい。分かれ道でも葉月の方を見ないでくださいね」

「じゃ、葉月さんも気をつけて」

 

その時急にお別れする淋しさが込み上げてきて、葉月はちょっと泣きそうだった。
これからしばらく会えないことは確定してる。
「今度いつ会えるかわからないんだもんなぁ」って、
こういう時に考えちゃいけないことが頭に浮かんでしまった。

 

蔵人さんには葉月の方を見るなと言ったくせに、
葉月は少し歩いてから振り返って、蔵人さんの後ろ姿を探した。
朝の通勤時間だったのでたくさんのサラリーマンの人が同じ方向に歩いていたけど、
蔵人さんのことはすぐにみつけられた。


蔵人さんの声

お泊まりって、長い時間一緒にいられるってことだけじゃない。
一緒に同じ朝を迎えるっていうことだけじゃない。
気持ちがぐぐっと近くなる。

いつもはお互いに自分の部屋から出てきて、会って、また自分の部屋に帰って行くだけなのに、
お泊まりはその扉がちょっと曖昧になる。
それはとても嬉しいことで楽しいことで、解放感があるからいつもと違う自分になれるけど、
自分の世界に戻るのにいつもよりちょっとエネルギーが要るなって思った。

 

でも葉月は大丈夫。
ちゃんと戻れるパワーも、蔵人さんからもらってる。
公園で手を繋いでくれたことも、泣いちゃうくらい気持ちいいエッチも、
そしてあの幸せの味がするコーヒーも、
全部全部、葉月が自分の世界に戻って元気に過ごせるように蔵人さんがくれたものだ。
こういうところでメソメソしないために、めいっぱい葉月を楽しませてくれたんだ。

 

蔵人さんの背中が人混みに紛れて見えなくなってから、
葉月は駅の方に向きを変えて元気に歩き始めた。

 

 

 

 

 

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